いつもありがとうございます。
ショーマの杉本です。
さて、被災地報告の続きですが、第一日目は南相馬市の小高地区です。
この南相馬市は、平成18年1月に、相馬郡鹿島町、原町市、相馬郡小高町の3つが合併してできました。
原発の事故後に、原発の距離に応じて設定された緊急避難準備区域(30~20㌔圏内)、警戒区域(20㌔~)
が、それぞれ合併前の町堺とほぼ一致しています。現在も小高地区は避難指示区域とされており、住民の方々は避難生活を強いられています。人口は震災前から約6千人の減少しました。(2013.8)
と、いうような説明を小高ワーカーズ代表の和田様からしていただき、バスで視察しました。
飯館村は当然家には帰れなく、しかも高齢の方が多いため家の片付けも進まないままということです。
仕事や作業等での出入りしかできない状況です。
小高地区は元々500事業所位あったものが、現在では100事業所位しかないそうで、しかもあるものは土建業、床屋さん、信金等などらしいです。
浪江町では震災避難時に農家の方が大切な牛を殺してはいけないと思い、放して避難したところもあり、野良牛などがいたそうです。
この辺の地域では、コンビニがほしいということですが、運営していくには10人以上のスタッフが必要らしく、そのスタッフが時給1500円でも集まらず困難を極めています。(以前は時給700円)
このような地域を課題先進地域というようです。
小高ワーカーズの和田さんはこの状況をしっかりと受け止め、前向きに新たな町づくりという視点と、今何が必要かを加味しながら活動をされています。
これは除染作業で出た放射線系廃棄物をいれた黒いフレコン(袋)です。
このような物がいたるところにあります。
かつては営業してたであろう店舗も今は無人で雑草が生え放題。
田んぼだったところに津波被害が。がれきはある程度処分され、まだまとめられたままになっている状態。